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盛岡地方裁判所 昭和28年(行)15号 判決 1955年3月08日

原告 佐々木好巳

被告 岩手県知事

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十四年三月三十一日附岩手る第三八八号買収令書をもつて別紙第一目録記載の各土地につきなした買収処分及び右同日附岩手る第三八五号買収令書をもつて同第二目録記載の土地につきなした買収処分はいずれも無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、別紙第一、二目録記載の各土地は昭和十九年三月八日原告が分家財産として父佐々木長右ヱ門から贈与を受けたものであるが、これが所有権移転登記手続をしないでいるうち同年五月九日右長右ヱ門が死亡したので、原告の兄佐々木勇が家督相続により前主長右ヱ門の原告に対する前記各土地の所有権移転登記手続の履行義務をも承継したのである。しかるに当時戦時中のこととて農地の所有権移転登記手続が困難であつたのみならず、原告の応召、それに続くその妻の病気等のため心ならずも右所有権移転登記手続を遷延して、今次農地改革の施行に及んだのであるが、既になされた売買、贈与等を原因として農地の所有権移転登記をするについて残された唯一の途は、旧自作農創設特別措置法(以下単に旧自創法と略称する)による買収及び売渡の方法による外はないと聞知していた右勇は、飯岡村農地委員会に赴き右事情を申し述べた上、前記各土地の所有名義を原告に移す便法として、一旦これを当時の所有名義人勇から買収の上、原告を売渡の相手方として売渡処分をなすよう取り図らわれたき旨願い出たところ、村農地委員会も前記各土地が原告の所有であることを認め、右申出を諒承しそのような措置をとるべきことを確約したのであつた。

しかしそれでもなお不安であつたので、昭和二十三年十二月原告がシベリヤから復員帰還するや、別途に右各土地の所有名義を原告に移すべく、翌昭和二十四年二月二十二日原告自ら兄勇を相手取り土地所有権移転登記手続履行の訴を盛岡簡易裁判所に提起し、同庁同年(ハ)第三号事件として繋属した訴訟において、原告は、前記のとおり昭和十九年三月八日父長右ヱ門から右各土地の贈与を受けたと主張し、これを原因としてその所有権移転登記手続の履行を求めたところ、同年四月九日原告勝訴の判決が言い渡されたので、右判決の確定を俟つて同年五月七日漸くにして右勇から原告に対し右各土地に関する所有権移転登記をなすことを得たのである。

しかるにこれよりさき被告知事は村農地委員会の意向を無視して同農地委員会に対し、前記各土地につき買収計画を樹立し且つ基準時現在における右各土地の小作人等を売渡の相手方とする売渡計画を樹立すべき旨指示したので、昭和二十四年二月二十三日村農地委員会はやむなく右各土地につき基準時現在の事実に基き旧自創法第三条第一項第三号所定の保有面積を超過する小作地に該当するとなし、登記簿上の所有者前記亡長右ヱ門の名宛人名義をもつて前記勇を相手として買収計画を樹立し、同月二十四日その旨公告し、書類を縦覧に供したのである。しかしそれでは到底右各土地を原告に売り渡して貰えないと考えた右勇は右買収計画を不服として異議を申し立てたが却下せられ、次いで県農地委員会に対し訴願したところ、これまた棄却となり、続いて被告知事が県農地委員会の所定の承認手続を経て同年三月三十一日附の右長右ヱ門を名宛人とする前記各買収令書を発行し、同年十二月十二日右勇にこれを交付して右各土地を買収したのである。

しかしながら右買収処分は左の理由により違法である。

(一)  別紙第一、二目録記載の各土地は前叙のとおり基準時現在原告の所有であるにかかわらず、勇を相手方としてこれを買収したのは買収対象物件の真実の所有者を誤つた違法を免れない。

(二)  右各土地は基準時現在小作地ではあつたが、旧自創法第五条第六号、同法施行令第七条第二号にいわゆる一時賃貸にかかる小作地であるからして買収し得べからざるものである。すなわち、昭和二十年二月原告が応召するに際し右各土地の管理を兄勇に委任したのであつたが、その後原告の妻の病気その他の事情により右勇自身前記各土地の耕作まで手が廻り切らなかつたので、原告の復員が三年後であるとの予想の下に、一応賃貸期間三年の約で別紙第一目録(1)(2)記載の各土地を訴外浅沼金右ヱ門に、同目録(3)(4)(5)及び第二目録(1)記載の各土地を訴外中村久雄にそれぞれ小作せしめたのである。しかして昭和二十三年十二月原告が復員するや早速右訴外人等に対しそれぞれ小作にかかる前記各土地の返還を申入れたところ、右浅沼金右ヱ門は約定どおり右申入に応じたのであるが、中村久雄は右約旨に反してこれを拒否し依然耕作を継続して今日に至つているけれども、そのことの故に右小作契約が一時賃貸たることに変りはない。

(三)  原告の所有農地は別紙第一、二目録記載の各土地を含め合計六反六畝八歩にすぎず、旧自創法第三条第一項第二号に基く岩手県における法定小作地保有面積一町一反に満たない。原告は父長右ヱ門から右各土地の贈与を受けるや直ちに居村大字上飯岡第十九地割六十一番地の現住所に家屋の新築を始め、昭和十九年秋中には完成を見たので早速妻子と共にこれに移り住み、爾来兄勇とは世帯を別異にし独立の生計を営んで今日に至つたものであるからして、法定の小作地保有面積超過の有無の算定に当り、原告及び右勇の各所有農地を合算し得べからざること勿論である。しかるに被告知事が敢えて別紙第一、二目録記載の各土地を買収したのは、法が買収してはならないとして保有を認めたものを買収したこととなり、その違法であること明らかである。

以上いずれの点よりするも前記買収処分は違法であり、且つ右の違法は重大且つ明白にして無効の瑕疵に該当するのでこれが無効であることの確認を求めるため本訴請求に及ぶと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、別紙第一、二目録記載の各土地がもと原告の父佐々木長右ヱ門の所有であつたこと、原告主張日時右長右ヱ門が死亡し、原告の兄佐々木勇が家督相続をしたこと、原告が盛岡簡易裁判所にその主張の訴を提起し、その主張日時原告勝訴の判決言渡があり、その確定を俟つて前記各土地につき右勇から原告に対し所有権移転登記のなされたこと、原告主張日時原告が応召しその主張日時復員したこと、原告主張日時その主張の各土地を訴外浅沼金右ヱ門、中村久雄がそれぞれ小作していたがその後原告主張日時浅沼金右ヱ門がその小作にかかる土地を返還したこと、原告主張日時村農地委員会が被告知事の指示に従い基準時現在の事実に基き別紙第一、二目録記載の各土地につき旧自創法第三条第一項第三号に該当する小作地として原告主張のような買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し前記勇より異議次いで訴願がなされたがそれぞれ却下、棄却せられ、続いて被告知事が県農地委員会の所定の承認手続を経て原告主張の各買収令書を発行して右勇にこれを交付し、右各土地を買収したこと、以上の事実は認めるが原告その余の主張事実は争う。右各土地は昭和十九年五月九日右長右ヱ門の死亡により家督相続をした前記勇の所有であつて原告の所有ではない。しかして前記買収計画は旧自創法第三条第五項第七号に則る右勇の買収申出に基基て樹立したものであるが、その当時は勿論、買収令書発行当時においても右各土地の登記簿上の所有名義人は依然右長右ヱ門のままになつていたので、右買収手続を通じて右同人の名宛人名義をもつて勇を相手方としたのであるから、何等買収対象物件の真実の所有者を誤つた違法はない。原告と前記浅沼金右ヱ門等との間に締結せられた右各土地に関する小作契約は、いずれも期間の定めのない通例の小作契約であつて一時賃貸ではないから旧自創法第五条第六号所定の場合に該当しないのであり、これを買収し得べきこと勿論である。なお仮りに原告主張の贈与の事実があり、従つて基準時現在における前記各土地の所有者が原告であつたとしても、原告の応召前は勿論、応召後復員までの間その妻子は兄勇の同一世帯員としてその扶養を受けていたのであつて、原告が右勇と世帯を別異にし現住所において独立の生計を営むに至つたのは昭和二十四年一月以降のことであり、また同年度から初めて原告自身の村民税その他の公課を納付するようになつたのである。しからば法定の小作地保有面積超過の有無の算定に当り、基準時現在同一世帯に属していた原告及び右勇の各所有農地を合算し得べきであり、結局右勇が単独で右各土地全部を所有している場合と同一であるところ、その合計面積は旧自創法第三条第一項第三号に基く岩手県における法定保有面積三町四反を超過するのでその超過の範囲内で別紙第一、二目録記載の各土地を買収したのであり、何等保有限度を侵害した違法はない。以上のとおり前記買収処分には原告主張のような違法の点は存しないから原告の本訴請求は失当として棄却さるべきであると述べた。(立証省略)

理由

別紙第一、二目録記載の各土地がもと原告の父佐々木長右ヱ門の所有であつたこと、昭和十九年五月九日右長右ヱ門の死亡により原告の兄佐々木勇が家督相続をしたこと、飯岡村農地委員会が被告知事の指示に従い、昭和二十四年二月二十三日基準時現在の事実に基き右各土地につき旧自創法第三条第一項第三号に該当する小作地として買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し、右勇より異議次いで訴願がなされたがそれぞれ却下棄却され、続いて被告知事が県農地委員会の所定の承認手続を経て前記長右ヱ門を名宛人名義とする原告主張の各買収令書を発行して右勇にこれを交付し、右各土地を買収したこと、原告は昭和二十年二月応召し、終戦後抑留されて昭和二十三年十二月シベリヤから復員帰還したこと、以上の事実は当事者間に争がない。

原告は、本件買収処分は買収対象物件の真実の所有者を誤つた違法がある旨主張するのでまずこの点につき案ずるに、成立に争いのない甲第六、第七号証、第九号証の二、第十、第十一、第十四号証、証人吉田秀雄、佐々木勇(第一、二回)の各証言を綜合すれば、前記長右ヱ門の存命中次男原告に相応の財産を分与の上分家せしめることとし、昭和十九年三月八日別紙第一、二目録記載の各土地を含め合計六反六畝八歩の農地を贈与したのであつたが、これが所有権移転登記手続は、その後間もない父長右ヱ門の死亡、原告の妻子の病気、次いで原告自身の応召等の諸事情が累つたためこれを延引して来たものであることを認めることができる。右認定に反する乙第一号証当庁昭和二十四年(行)第一二五号事件証人富岡福治の証言部分は前記各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠がない。

してみれば基準時現在における本件各土地の所有者は原告であつたにかかわらず、当時の登記簿上の所有名義人たる亡長右ヱ門の名宛人名義をもつて勇を相手方としてなした本件買収処分は買収対象物件の真実の所有者を誤つたのであり、この点において違法たるを免れない。しかし当時政府は、都道府県知事及び市町村農地委員会に対し農地の所有権の帰属主体については専ら登記簿その他の公簿に準拠してこれを認定し買収手続を進めるよう指導していたのであり、しかも急速且つ広範に自作農を創設する必要に迫られていた当時の買収機関としても、一々その他各般の調査を遂げて実体上の所有関係を確めた上で買収手続を進めることは実際問題として至難な事情にあつたことに鑑みれば、仮令被告知事において本件各土地の実体上の所有関係の認定を誤り、その結果前記勇を本件買収処分の相手方となしたとしても、その違法は取り消し得べき瑕疵に該当するものとなすべきは格別、いまだもつて当然無効たるべき明白な瑕疵とまではいい得ないのであり、従つて右買収処分をもつて当然無効であるとはなし得ない。

次に原告は本件各土地に関する前示小作契約は原告が復員帰還するまでの約でなした一時賃貸であるから、旧自創法第五条第六号、同法施行令第七条第二号に該当しこれを買収し得ないと主張するので案ずるに、成立に争いのない甲第九号証の一、第十、第十二号証、乙第二号証及び甲第十二号証により真正に成立したものと認められる甲第八号証並びに前顕証人吉田秀雄の証言を綜合すれば、昭和二十年二月原告が応召するに際し本件各土地を含むその所有農地の管理を兄勇に委任しておいたのであつたが、その後弟貢の応召、原告の妻の病気等で手不足となり本件各土地の耕作まで手が廻り切らなかつたので、同年四月右勇は原告に代つて、原告が復員帰還し一家の労働力が恢復するのが三年後であるとの見透の下に賃貸期間を一応三年と定め、別紙第一目録(1)(2)記載の二筆の土地を訴外浅沼金右ヱ門に、同目録(3)(4)(5)及び第二目録(1)記載の各土地を中村久雄にそれぞれ賃貸小作せしめたこと、しかるに原告の復員が遅れたため賃貸期間を更に一年延長し、右訴外人等は昭和二十三年度も引き続き耕作していたところ、同年十二月原告が復員したので右浅沼金右ヱ門は翌昭和二十四年二月その賃借にかかる前記各土地を返還したのであつたが中村久雄はこれを返還せずして耕作を継続していたこと、以上の事実を認めることができる。右認定に反する乙第三号証当庁昭和二十四年(行)第一二五号事件証人中村久雄の証言部分は前記各証拠に照らしにわかに措信し難い。他に右認定を覆すに足りる証拠がない。

しからば本件各土地に関する前示各賃貸借契約は、旧自創法第五条第六号、同法施行令第七条第二号にいわゆる昭和二十年八月十五日以前の召集のため自作農がその自作地につき自ら耕作の業務を営むことができないため、賃貸借により一時これを他人の耕作の目的に供した土地に該当するものといわなければならないところ、前示認定のとおり原告は農業を唯一の生業とし、且つその所有農地は本件各土地を含めて僅に六反六畝八歩にすぎなく、しかも後記認定のとおり、原告は復員の翌昭和二十四年一月、当時既に完成していた新築家屋に移り住み、前示農地の耕作をもつて独立の生計を営み得る態勢にあつたのであるからして、同年二月二十三日前示買収計画樹立当時本件各土地は正しく近く自作するのを相当とする農地であつたといわなければならない。従つて村農地委員会としてはもともとこのような土地については買収計画を樹立すべきでなかつたのであるから、被告知事の指示に基いてなしたものとはいえ、右買収計画の違法であることはいうまでもないのであり、これを踏襲してなした被告知事の本件買収処分もまた違法たるを免れない。しかし右の違法は、前同様取り消し得べき瑕疵に該当すべきは格別、直ちにもつて無効の瑕疵にまで該るものとはなし得ない。

次に原告は本件買収処分は保有限度を侵害した違法がある旨主張するので案ずるに、前記甲第十号証及び成立に争いのない乙第四号証並びに前顕証人佐々木勇(第二回)の証言を綜合すれば、原告は昭和十九年三月八日本件各土地等の贈与を受けるや名実共に分家すべく早速居村大字上飯岡第十九地割六十一番地の現住所に家屋の新築にとりかかり同年秋中には完成を見たのであつたが、前示のとおり家族の病気その他によりこれに移り住むことを得ないでいるうち翌昭和二十年二月原告自身応召になつたので昭和二十三年十二月復員するまでの間その家族は引き続き兄勇の同一世帯員としてその扶養を受けていたこと、原告がその妻子と共に前示家屋に移り住み右勇と世帯を別異にし独立の生計を営むに至つたのは昭和二十四年一月以降であり、また原告名義で公租公課を納付するようになつたのも同年度以降であること、以上の事実を認めることができ右認定を覆すに足りる証拠がない。

ところで原告は終戦後は一日も速かに内地に送還され、妻子の許に帰郷することを熱望していたものというべく、若し終戦後抑留される等の事態が起らなかつたならば基準時たる昭和二十年十一月二十三日までには当然妻子のいる兄勇方に復員帰郷したものと認めるのを相当とし、且つこのような事情とすれば、旧自創法第四条の、農地の所有者でやむを得ない事由によりその所有農地のある市町村の区域内に住所を有しなくなつた場合に該当するものと解し得るから、結局右同日現在における原告の住所は兄勇方にあり、且つ同人と同一世帯に属していたものといわなければならない。

しからば法定の保有面積超過の有無の算定に当つては、原告及び右勇の各所有農地を合算し得べく、しかして本件各土地は一時賃貸であるからこれを買収し得ないにしても、ひとしく小作地である以上右計算の基礎には加え得べきところ、前顕甲第十四号証及び証人佐々木勇(第二回)の証言によれば、右各土地を含めると基準時現在における右両名の所有農地の合計面積は三町八反四畝歩であつたことは認め得られるが右同日現在における自小作地反別についてはこれを明らかになし得る何等の証拠もないので本件買収処分が果して保有限度を侵害したものか否か判断するに由ないけれども、仮りに保有限度を侵害したとしても、このような違法は侵害の限度で取り消し得るにとどまり、本件買収処分全部の無効を来すものではない。

よつて原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 下斗米幸次郎 佐藤幸太郎)

(目録省略)

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